文華堂(中区国泰寺町)の伊東由美子社長は2018年6月、三男の剛副社長と共に伊東家の戸籍謄本に記載されている熊本、長崎、佐賀3市と香川県丸亀市を訪ね、現地の図書館などで古地図や文献をひもといた。明治30年(1897年)に長崎で創業と伝わる家業の歴史をたどり、今後の事業継承に道筋をつけるという大きな目的があった。伊東家に嫁ぎ、7代目の伊東社長は、
「現地で確かめる創業の歩みは非常に興味深く、面白いものでした。実際に資料を調べると長崎ではなく、今から150年以上前にさかのぼり熊本県高橋町で伊東寅之助が内与力として細川藩の奉行所で蔵書印や藩設置機関印、検閲印などを製作。廃藩置県後、明治20年に長崎に出るまで、当地で印版の仕事に当たっていたことが推定できました」
新鮮な驚きだった。創業は明治新政府が発足した1868年であることが判明。近代社会へ向かう黎明(れいめい)期、長男で2代目の寅三郎と共に技術と信用で印版の存在価値を高め、家業を営んだようだ。長崎へ移転後は、終戦まで韓国大邱で福岡や佐賀県の仕事も受けるなど手広く展開。今も大邱と釜山に文華堂の看板で事業が引き継がれているという。
「家族と共にその地を訪れ、何度も現地の文華堂を行き来した先代、先々代の足跡がありました。4代目秀次を師、恩人とあがめ『私たちの原点がこの硯(すずり)にある』と祭壇に供えられてあった。当社が大事にしてきた理念〝企業は人なり〟を改めて確認することができた。歴代経営者の事業にかける思いもかみしめた」
本格的な雇用に乗り出した1987年、1年をかけ全員参加で経営理念を策定した。
「小さな会社にはなかなか優れた人材が来てくれない。あの手この手を打ったものの人手確保で一番、苦労した」
経営のあり方を根本から見直し、今は全社員も参画して経営計画書を作成している。この十数年、定年や結婚以外による退職者はいない。
文華堂は今年1月から創業50年以上のオーナー企業を主対象に、創業家と事業変遷の歴史を時代の主要な出来事と合わせて巻物にまとめる「創業家系図」の制作サービスを本格化した。主に次期後継者に引き継ぐタイミングで提案する。2年前に戸籍謄本や過去帳、古地図などを頼りに完成にこぎ着けた自社家系図がヒントになった。時代のうねりや変革を乗り越えた歴代トップの信条や人柄などを掘り起こし、創業の精神を検証できたという。
「最初は生きていくため。時代背景もあるが結局、良し悪しは別にして自分が信じた方向に動いていくのが人だと思います。松下幸之助は松下理念を継承する人をトップ候補としていたという。地域の雇用を守り、必要とされる、風土づくりの一端も担う老舗企業の灯を途絶えさせてはならない。求心力となる創業の魂を社員皆で理解、共有し、事業に落とし込んでこそ永続的な発展につながるのではないでしょうか」
技術革新などでパラダイムシフトが進み、後継者不足などを背景にM&Aが増加。時代の変化を読み取り、改革の手を緩めてはならないが、併せて人と人がつながる〝縁繋(えんけい)支援事業〟を掲げ、時を越えた縁繋で未来を創る構えだ。